国際ロータリー 第2740地区  第8グループ 諫早市内5クラブがあり、諫早西RCの他、諫早RC、諫早北RC、諫早多良見RC、諫早南RCがあります。

会長挨拶・時間

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会長挨拶

2014-2015年度 会長  辻本 善樹

画像の説明

 2014年-2015年度国際ロータリー会長ゲイ リ C. K. ホ ア ン氏は信奉する孔子の言葉「何もせずに不平をいっているだけでは、何も変える ことはできない。ひとり一人が1本のろうそくを灯すことによって世界を明るく照らすことができる」から、今年の RIテーマを、「ロータリーに輝きを 「Light Up Rotary」としました。さらに、新会員を引き付けるとともに、現会員を維持して会員数を現在の120万から130万人に増強するという目標を達成することによって、ロータリーを輝かせてくださいと述べています。
 本年度のRI第2740地区のガバナーには、第8グループの宮崎清彰氏が就任することになり、同じグループとして非常に光栄であり、コホストクラブとして、できる限りの協力と支援をしていきたいと考えています。
 わが諌早西ロータリークラブは、本年度で創立30周年を迎えます。これまでのクラブの発展にご苦労をなさり、すばらしい功績を残していただいたチャーターメンバ一、OB会員、現会員の皆様に感謝申し上げます。
 クラブの発展の節目となる30周年記念事業に向けて、クラブテーマを 「心の火を燃やそう」とさせていただきました。これは、入会20年を迎えた私自身だけでなく、経験豊かな会員そして、入会年数の少ない若い会員も含めた全会員が、ロータリーの奉仕の精神に立ち返り、ロータリーへの情熱の火を燃やしていただきたいとの思いを込めました。そのような情熱の心が周りに伝わって、輝きがもっと増して、社会への広報活動も高まり、やがては新入会員の増強へもつながります。さらに、御夫人や家族に対しても、さらに愛情の火を燃やして、家庭円満になることがクラブの盛況となると考えています。
 30周年記念事業を含めて、ロータリーの奉仕活動や事業の計画から実行の段階でよく話し合い議論することは、会員同士の最大の親睦活動になると考えていますので、できる限りの参加をお願いします。
 最後に、ロータりーへの情熱の火を燃やして、全会員が一丸となって、30周年記念事業および、式典を成功させましょう。

目標
1. 創立30周年記念事業の成功
2. 退会者ゼロ新入会員3名増の達成
3. 出席率100%の達成
4. 創立30周年諌早西ロータリー旗第10回ミニパスケット大会の成功
5. 地域への広報活動
6. ロータリー活動への全員参加(会員および夫人・家族)
7. 積極的なロータリー財毘への寄付
8. ガパナーに対しコホストクラブとして協力支援

今週の会長の時間  

第1440例会 平成27年6月24日(最終例会)

なし

第1439例会 平成27年6月17日

テーマ「人からのアドバイスを大事にしなさい」

 これまで生きてきた人生を振り返ってみると、私をよく理解くれている人のアドバイスを聞いてきたことが現在の私になっていると思います。
 まず、最初は、工学部を志望していた高校3年の12月に、医者である叔父と兄の主治医であった小児科医の白井先生から、これからは工学部よりも医学部の方が将来性があるとの説得を受けました。ものづくりをしたいと漠然と工学部を目指していたので悩みましたが、説得に負けて医学部に進みました。入学して基礎医学では覚えることばかりが多くて、医学部に進んだのは間違いだったかなと感じましたが、臨床に進むとその知識を生かして、探偵のように診断できることに少し喜びを感じるようになりました。
 外科に進もうかと思っていたら、白井先生から小児科に入り、研修も長崎市民病院ですることに決めたからと言われ無理やり進路を決められました。弟もお世話になっていましたし、基本的にはこどもが好きだったので小児科に進みました。
 小児科は忙しくて夜も呼び出しを受けたりして大変でしたが、こどもが治療によって元気に回復するのを見ると疲れも吹っ飛んでしまいます。
 医者になって15年して、大学での診療も限界を感じている時に、開業の話がありました。そこで、開業の場所を決める時にはいろんな反対がありましたが、現在の場所に決めたのは商売人である父が周りを歩いて回り、小学校が近くでもあることより賛成してくれたので決めました。
 開業して2年して、小児科の野田先生の勧めでロータリークラブに入り、そして、その後やはり野田先生からのアドバイスで諫早医師会理事になり、6年間医師会のために働きました。
 ロータリーでは、平会員より創立20周年記念事業が終わった頃から、「30周年記念では会長にならんばいけんよ」と言われ続けて覚悟して、30周年の会長を引き受けました。
 このように、私を知ってよく理解している先輩からの節目やターニングポイントでのアドバイスを聞き入れて現在があると感じています。人のアドバイスなど気にせずに、自分で人生を決めていくことが理想ですが、それにはずばぬけた能力と努力が必要です。それよりも自分をよく理解してくれている知人や先輩を持って、そのアドバイスをよく聞いて参考にして決定をすることで、人生をうまく切り開いていけると思います。そのためには、ロータリークラブで親睦を深めて、会員の人生や経営方針を参考にして、良きアドバイスをしてくれる友人を作っていくことが大切だと思います。

第1438例会 平成27年6月10日

テーマ「赤色と男性ホルモン」

 来年の大河ドラマは真田幸村ですが、真田幸村と言えば赤備え(あかぞなえ)で有名です。戦国時代、鎧兜などの具足、旗指物、槍、太刀などあらゆる武具を朱塗りにした部隊(赤備え)は特に武勇に優れた名将がこれを率いていた。しかし、最初に考案したのは甲斐の武田信玄とされている。信玄の腹心であった勇将飯富(おぶ)虎昌がこれを率い、没後に弟の山県昌景が継承し、長篠の合戦で戦死するまで武田の先鋒を務めた。
 源平合戦以来、緋色は華やかな甲冑の基本色です。戦場で目立てば鉄砲や弓矢の標的になりやすいのに、なぜ派手な鎧を着て戦ったのでしょうか。さらに、西洋でもローマ軍団の指揮官は真紅のマントをし、鉄砲の出現後も、一斉射撃をものともせず突撃する英国の歩兵隊や、サーベルをかざして突撃するナポレオン騎兵の制服も紅です。
 どうしてこのような不合理な軍装をするのでしょうか。英国の人類学者の研究で長年の疑問が解けた。つまり、彼らは、オリンピックの格闘技(レスリング、ボクシング、テコンドー)でウエアの色を観察したところ、統計的に有意に赤のウエアが勝利したというのです。さらに欧州のサッカーでも同じように赤の勝率が青や白を上回ったというのです。面白いことに、鳥類や爬虫類では発情期の雄の婚姻色は赤で、より派手な色の方が、地味な雄より多くの子孫を残すという傾向がみられる。
 ではどうして赤が強いかというと、闘争に深くかかわる男性ホルモンであるテストステロン(アンドロゲン)のレベルを上げる作用があるというのです。実際に、トカゲの闘争で勝者と敗者を比較すると、赤い個体はそうでない個体に有意に勝利し、血中のテストステロン値も高いという結果でした。赤い衣装は敵ではなくて自分自身を鼓舞するためだったのです。
交通違反の取り締まりでは、赤い車がスピード違反を起こす率が最も高いそうです。自ら赤い衣装を選ぶという心理傾向を有する人のテストステロンが高く、スピード運転を好むのかもしれません。
 ただ、長篠で織田徳川連合軍の弾幕の中に散った山県昌景、そして、家康の本陣を前に刀折れ矢尽きた真田幸村など、赤を身にまとった英雄は栄光に満ちてはいますが、悲惨な最期を遂げることが多いように思われる。勇気は高揚しても、理性的な判断力を曇らせるのが男性ホルモン、あるいは男性という性自体の悲しさかもしれない。

第1437例会 平成27年6月3日

テーマ「黙する時間」千宗室(淡交タイムズ)より

 今月三十日は夏越(なごし)の祓(はらえ)です。既に一年の半分が過ぎることになります。時間に追い立てられるような気になるのは、皆が同様に感じていることでしょう。時計の針の動きはいつも変わらないはずですが、最近は何事も性急な判断が求められる、そんなことが当たり前の世の中になってきました。
 例えば人と会うとき、相手に対する評価を直ちに下してしまいがちです。直観力というようなものを過信して、その人間が自分にとって受け入れられるか、受け入れられないか、合格か不合格といった判断を最初の瞬間にパッと決めたらそれで全て定まった、と考えてしまうのです。人間関係は食べ物と似ていて、口に入れたとたんに美味しいと感じるものもあれば、長く食べ続けて初めて本来の良さがわかるものもあります。それを繰り返して好き嫌いを決めていくのが自然のながれでしょう。中にはどうしても苦手な食べ物もあります。それでも、一回食べただけで「まずい」と切り捨ててしまうのはもったいないこと。噛んでかんで味わい深い人間関係にしていくためには、もっと気を長く持って対応しなければならないと感じています。
 長い時間をかけて答えを出していくために、「黙」ということは大切だと思います。多弁よりも沈黙がまさっていることを示す故事として「維摩の一黙、雷の如し」という言葉があるように、黙って、どっかと腰を据え、そして五感で人間関係に対処していきたいものです。ロータリーに関わる者は、判断をその場で下さず自分の中でしっかりとさせていく、その機会を他人よりも多く持っているはずです。この一年の折り返しの時季に改めて「黙」の気持ちを持ち、自分の足りない部分を共に考えていただければと思います。

第1436例会 平成27年5月27日

テーマ「老いを自由に生きる」続編

 先週は「老いを自由に生きる」の本を紹介しましたが、その続きをお話しします。
 健康に、長生きしたいと願うこと、またその願いを実現するために、食生活に心を配ったり、運動をしたり、お金をかけたりすることは、「老いたくない」「死にたくない」という思いが、心の中にあることのあらわれです。人間は刻一刻と、確実に、誰もが例外なく年をとっていきます。老いない、死なない、そんな奇跡は起きません。子どもが年を重ねて変化することは、「成長」と呼ばれ、大歓迎されるのに、なぜ大人になってからの変化を「老い」と呼び、嫌うのでしょうか。
 長生きできない最大の原因は、ストレスです。見た目にもひどく老け込んでいる原因は、心がボロボロになっているからです。一方、高齢の人でも生き生きと仕事をこなし、老いなどまったく感じさせない人もいます。彼らは肌つやもよく、笑顔が輝いていて、心も穏やかです。そういう人たちに共通しているのは、毎日をとても忙しく過ごしているということです。医者でも、芸術家でも、農家の人でも、漁師でも、自分の役割を持って目の前の仕事に打ち込んでいる人は、いくつになっても若々しいものです。やるべきことをたくさん抱えていて、瞬間、瞬間に問題に対処していれば、先々のことなど考えている暇もありません。そうして、「今日」がとても充実している人は、身体が老いるスピードが落ちるのです。逆に。今この時間を「先々のことを憂い、考える時間」にしてしまう人は、身体がどんどん老いていきます。長生きをしたい、年をとりたくない、そう考えた瞬間からアウト。身体は老いるスピードを速めるばかりです。
 そもそも、健康になって何かしたいと思うがゆえに、人は健康になる努力をします。健康とは目的を叶えるための手段であったはずです。それが、健康な身体になるだけなって、その後その身体を使って何もしないのなら意味がありません。ゴルフ道具は一式そろったけれど、ゴルフをする気がまったくない、というようなものです。健康にこだわるあまり、本来の目的を忘れてしまって、手段が目的に入れ替わってしまうのは本末転倒です。人生は、身体が健康になっただけでは何も変わりません。健康に固執しているかぎり、結局は、イライラや不安、満ち足りない気持ちを抱えることから逃れられません。そこから脱するために必要なものは、「心」です。
 どんなにがんばっても人生は虚しい。だったら、明るく生きるのがいちばんです。一秒、一秒の笑顔をずっと続けていくことができたら、いつも笑顔でいられることになります。

第1435例会 平成27年5月20日

テーマ「老いを自由に生きる」

 日本テーラワーダ仏教教会の普及に従事しているアルボムッレ・スマナサーラという方の「老いを自由に生きる」という興味深い内容の本を紹介します。
 インドでお釈迦様によって開かれた仏教は、中国や朝鮮半島を経由して数百年後に日本に伝わったのは大乗仏教でした。一方、スリランカやタイ、ミャンマーなどに伝わったのはテーラワーダ仏教です。「テーラワーダ」とは、お釈迦様の時代に使われていたパーリ語で、「長老の教え」という意味になります。お釈迦様が説いたのは「どう生きればいいのか」という、人間ならば誰もが抱く疑問に対する答えでした。つまり、仏教の教えとは、私たちがよりよく生きるための智慧なのです。お釈迦様の教えが正しいと思うなら続けていいし、間違っていると思うなら離れていくのもまた自由です。この本では、お釈迦様の本来の教えに触れることで、老いに怯え、死に怯え、大切な人を失うことに怯える心から解放され、より価値のある日々を送る方法を教えています。
 私たちは、「おぎゃー」と生まれたその瞬間から、ずっと変化を続けています。変化を続けるということは、私たちの臓器一つひとつは、一時として同じ状態にはないということです。年をとれば、身体もそれに応じて変化していきます。それは当たり前のことであり、不幸なことではないのです。「20歳の頃は、どこも悪い所はなかったのに、50歳を超えてから、老眼も進んで、耳も遠くなってきた。ああ嫌だ」もし、あなたがこう考えるなら、それこそとても不幸なことです。なぜなら、絶対に不可能なこと、科学的法則に逆行したことを望んでいるのですから。
 最近は多くの人たちが、あまりにも肉体のことばかりに夢中になっているように思えます。老いたくない、病気になりたくない、死にたくないという思いにとらわれて、それを実現できるようにすることが、自分の行動基準になってしまっています。身体に悪い食べ物をとらないように神経質になってかえってイライラしたりします。しかし、いくら健康であろうと努力しても、限界はあり、老化する身体を止められないのです。
 もっと、心に目を向けてください。身体より、心を健やかにすることを考えてみるのです。私たち人間のすべては、心が支配しています。手を上げたり、歩いていたりする時、「手をあげよう」「足を動かそう」と頭で思い、命令するから身体が動くのであり、食べ物を前にして「よし食べよう」と思うから、食べるという行動が起こせるのです。しかし、意識を失った人を立たせるのは至難の業です。そもそも意識がないときに、自分の身体を思い通りに動かすことなどできません。意識があるということが、すべての前提にあります。身体より心に目を向けてみれば、老いることはすばらしいことだと気づくのです。仏教では「幸せになるには身体の健康を追い求めるのでなく、まず心の健康を追及しなさい」と教えています。自分の身体のめんどうばかりみてないで、もっと心のめんどうをみてあげましょう。

第1434例会(職場訪問)平成27年5月13日

なし

第1433例会 平成27年4月22日

テーマ「マイナンバー制度」

 今年の10月より、国民一人ひとりに市町村より住所宛に紙製の通知カードで12桁のマイナンバー(個人番号)が送られてきます。2016年1月以降、市町村に申請するとICチップのついた個人番号カードの交付を受けることができます。さらに、企業にも2016年より「企業版マイナンバー」として13桁の法人番号を割り振り、商号や所在地に紐付けるようになります。
 政府は、マイナンバー制度には「行政の効率化」、「国民の利便性の向上」、「公平・公正な社会の実現」というメリットを上げていますが、実際に行政手続きのオンライン化して、その恩恵を受けるのは2017年7月以降になります。
 事業主は、従業員やその扶養家族の個人番号を年末調整から源泉徴収票などに記載して、税務署や市町村に提出することを義務づけられます。マイナンバーは個人情報なので、それを取り扱う事業主には厳重な管理が必要となり、漏洩させた場合には最高4年以下の懲役もしくは200万円以下の罰金が科せられます。それを防ぐためには、新たなシステム投資が必要になり、企業の負担が増します。
 マイナンバー制度の正式名称は「社会保障制度と税の共通番号制度」であり、表向きは行政サービスの効率化や、税や社会保険料の徴収効率を高めるための制度と言われています。具体的には、2016年の第一段階で事業主に給与・退職金の源泉徴収票への記載を義務付けます。金融機関には利子や株式配当の支払調書への記載を義務付け、保険会社には生命保険の一時金の記載を義務付けます。医療関係者には予防接種や特定健診などの一部の医療情報に記載を求めます。
 2018年の第二段階からは金融機関に預金口座への記載を要請し、2021年以降に義務付けます。さらに第三段階ではカルテや診療報酬明細書(レセプト)などのすべての医療情報に記載を義務付けることも予定されています。このように、マイナンバー制度の本当の目的は、国による個人所得の把握と医療情報の把握にあると言えます。
 いよいよ日本も個人のプライバシーも何もない。政府による完全な監視社会に突入しようとしています。みなさんもマイナンバー制度をよく勉強しその対応を迅速に行い、常に政府の方針に監視の目を怠りないようにしていく必要があります。

第1432例会 平成27年4月15日

テーマ「君が代の意味」

 毎月の例会で「君が代」の国歌斉唱を行っているが、その意味を調べてみた。「君が代」は、5・7・5・7・7で構成されている和歌である。この和歌は、約1100年前の「古今和歌集」に「詠み人知らず」として掲載されている。その頃は「我が君は千世にやちよに」と書かれていて、「我が君」は女性が男性を呼ぶ言い方のために、この歌は恋文で、詠み人は女性であると考えられている。その後、「我が君」は女性しか歌えないため、「君が代」に変えることで男性も唄えるようにして、「あなたの時代が末長く続きますように」という意味にしたようだ。その後は、長寿と健康を祝ってよく歌われていた。
 「君が代」が国歌として使われるようになったのは、明治2年で、この年に英国王子の来日があり、儀礼の上で日本国歌が必要になり、「君が代」が選ばれた。誰でも知っていて馴染みがあったようで、特に大きな異論はなかったようだ。しかし、英国の軍楽隊長のフェントン氏に曲をつけてもらったが、不評であった。そこで、雅楽局の楽士が「君が代」の歌詞に旋律をつけ、雅楽で演奏可能な「君が代」を作り上げ、それに後任のエッケルト氏に、軍楽隊用に編曲してもらい、明治13年に初めて公に披露された。明治36年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、「君が代」は一等賞を受賞した。
 第二次世界大戦前にはごく自然な国家平安の歌として親しまれていた。修身の教科書には「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります。」と書かれていた。
第二次大戦後に、GHQが日本を占領し、日の丸掲揚禁止とともに、君が代の斉唱を全面的に禁止した。「君が代」の歌詞について、「国体」と呼ばれた天皇を中心とした体制を称えたものと解釈できることから、一部の国民から国歌にふさわしくないという意見があった。
その後、1999年に国旗国歌法により「君が代」が公式に国歌とされ、君が代の歌詞は「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当」という政府の公式見解が出ている。
 このように、1100年前から伝わる恋の歌や長寿のお祝いの歌が「君が代」なので、決して天皇を称えるだけでないということを理解して、今後「君が代」は国歌斉唱の時だけでなく、お祝いの席でももっと歌われるべき歌かもしれない。

第1431例会 平成27年4月8日(花見例会)

なし

第1430例会 平成27年4月1日

テーマ「エイプリルフールの起源」

 エイプリルフール(April Fools` day)とは、4月1日に嘘をついてよい、という風習のことです。4月1日の正午までに限られるとも言われている。英語の「April Fool」は4月1日に騙された人を指すのです。エイプリルフールの起源ははっきりとわかっていなくて、色んな説がある。
 その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していた。しかし、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とするグレゴリオ暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎを始めた。しかし、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝った人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまった。フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れないために、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりであるとの説である。
 また、インドの仏教徒たちは、3月25日から3月31日までの1週間、座禅を組んで修行したが、つらい修行が終わった4月1日には、悟りの境地から再び現実の世界に戻ってしまう為、からかいの行事を行うようになった事から始まったと言う説もある。
 4月1日には、世界中で新聞が嘘の内容の記事を掲載したり、テレビでジョークニュースを報道したりといった手の込んだ事が行われている。
日本では、大正時代に西洋から日本に伝来して広まったと言われている。日本人はしゃれの分からない真面目な人が多いので、あまり広まっていない。もっと、エイプリルフールなどの洒落や冗談が広まれば、うつになる人も少なくなるのではないかと思っている。

第1429例会 平成27年3月25日

テーマ「古事記を読んでみませんか」

 昨年の地区大会での竹田恒康氏の講演の中で、道徳のない今のような時代だからこそ「古事記」を読むべきだと述べていて、さらに、千玄室も日本人は「古事記を読まなければならない」と言っていて、それで、古事記に興味を持つようになった。まずは竹田恒康の「古事記 完全講義」は講義の話を文章化しているので、わかりやすく気軽に読むことができた。
古事記は天武天皇が編纂を命じて、30年経った西暦712年に上、中、下の三巻にまとめられた。上つ巻は天地ができ天孫降臨まで、中つ巻は初代の神武天皇から15代の応神天皇まで、下つ巻は16代仁徳天皇から33代推古天皇までが書かれている。
 古事記(ふることふみ)というのは、「古い事が書いてある本」という意味である。天地が初めてあらわれた時から始まり、「伊耶那岐神(いざなきのかみ)」「伊耶那美神(いざなみのかみ)」から国うみとたくさんの神が生まれる。その時に女の方から声をかけてできた子は、不完全な子ができたので、もう一度やり直して男から声をかけたら完全な神が生まれた。これは、まず男から申し込み、承諾するかしないかの決定権は女性にあることを意味している。また、神は何か問題があると神々が集って話し合って決定するということで、合議制だったのである。日本の政治は昔から合議制で独裁政治は長続きしないのは、日本の歴史なのでしょう。
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の天岩戸開きや須佐之男命(すさのおのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)の話など神話が書かれている。須佐之男命が八岐大蛇を強い酒で酔わせて眠らせた所を斬っただけで、決して勇敢でなく卑怯な作戦を取っただけなのである。その尾っぽから出てきたのが「草薙剣」で天皇の三種の神器のひとつである。
 古事記に出てくる天皇も神様も、完璧な人はいなく、すごく良いところもあり、悪いところもある、とても人間臭く書かれています。女性とのエロチックな話や、どろどろとした話も多くある。だから何も国威を高めるために、嘘八百を書いて歴史を歪曲するために書いたのでなく、正しい歴史を語り継ぐために書いたのである。ですから、「古事記」を読めば、日本人の自然感、日本人の死生観、そして日本人の歴史観がわかります。大和心の構造、日本人の精神の構造を知ることができる。
 ですから、2020年の東京オリンピックまでには、みなさんも「古事記」を読んで、日本人の大和心をよく理解していただき、訪れる外国人に古い歴史を持った日本人の素晴らしさを見せることが、最高の「おもてなし」になると思うのである。

第1428例会 平成27年3月18日

テーマ「電子タバコの問題点」

 電子たばこを吸って禁煙できると言う人がいる。しかし、医師の8割以上は電子タバコの詳細を知らないとのアンケート結果もある。そこで、「電子たばこ規制に動く欧米、日本は?」の記事が日経メディカルに載っていましたので紹介する。
 欧米では電子タバコの市場が既に立ち上がっていて、日本は2年ぐらい遅れている状況だそうだ。電子タバコはニコチンを含んだ微量の溶液を数ボルトの電圧で加熱して蒸気化させ、それを吸引することで、紙巻タバコと似たような蒸気の「煙」が出るが、葉タバコの燃焼に伴う有害タールなどは含まれず、ニコチンのみを吸入できるものである。当初は外見も紙巻タバコそっくりでしたが、最近では、外見は様々で、さらに吸引する溶液に、キャンディーやチョコレートといった多様な香料が加えられるようになった。使用経験者が英国では2014年に50.6%、米国では2013年に36.5%と急増している。
 急速な普及の一方で問題が出現してきた。その一つが未成年への浸透で、電子タバコの常習によってニコチン依存となり、より強い刺激を求めて喫煙に移行してしまう可能性がでてきた。さらに、一度禁煙した人が電子タバコの使用をきっかけに喫煙状態にもどってしまう可能性も指摘されている。また、ニコチン溶液の乳幼児の誤飲による急性ニコチン中毒の事故も増えている。
 タバコに対して築かれていた社会規範が電子タバコによって台無しになってしまうことを、WHOや各国の公衆衛生当局が真剣に危惧するようになり、製品の規制を導入し始めている。
 電子タバコは紙巻タバコより健康への害が少ないと思われていたが、一部の電子タバコの蒸気から、健康に問題となるアルデヒド類が検出された。溶液に含まれるプロピレングリコールやグリセロールの添加物を高熱で加熱すると酸化されてアルデヒド類が発生することが判明した。ある製品では15回の吸引(1本分)で吸入するアルデヒド類が紙巻タバコ(セブンスター)の1本分よりはるかに多かった。
 国内での電子タバコはニコチンを含む製品は医薬品法で規制されているので、ニコチンを含まない製品しか販売されていない。例外として個人輸入は可能なのでニコチン含有製品を輸入することはできる。
 電子タバコの普及によって喫煙率が下げ止まってしまっては、公衆衛生上問題が大きいので、電子タバコの具体的な規制について議論を始めるべきであると書かれていた。
 タバコの喫煙は本人だけでなく、周りの子どもや家族への健康被害を及ぼす。しかし、それ以上に青少年への喫煙行為を促し、さらに危険ドラッグへの移行を促す危険もあるので、青少年奉仕を推進するロータリアンとしては禁煙への地道な努力をお願いしたい。

第1427例会 平成27年3月11日

テーマ「東日本大震災復興の4年」

 3月11日で東日本大震災発生4年となります。地震と津波で死者・行方不明者2万人弱の被害で、現在でも8割が仮設住宅に住んでおり、復興がまだまだ進んでいません。住宅建設も、用地買収や建築資材不足そして労働者不足で計画の16%しか進んでいないし、我々が協力した復興予算も2兆6500億円が使われていない状況です。
 そんな中、宮城県女川町が復興連絡協議会を中心に災害地区では一番早い復興計画を進めているとの報道を見ました。当初は防潮堤を作って津波からの被害のない町をつくる計画でした。しかし、高さ15mの防潮堤をつくるために盛り土をすると100mの幅で町を横断して、有効な土地が少なくなり、圧迫感が強くなります。それでは、本来、海の見える風景の町の姿がなくなるとの判断で、かさ上げした町づくりを目指すそうです。かさ上げした海の近くは漁協の建物やみんなの広場やイベント場をつくり、それよりもかさ上げした所に市街地をつくり、さらにかさ上げした土地に居住地をつくるそうです。このように、自然に立ち向かって防ぐのでなく、いかに被害を少なくして自然との共生を図ろうとする姿勢を取っています。
 このような計画ができたのも、復興連絡協議会が中心になって話し合ってきた成果です。協議会は最初、年寄りが中心でしたが、復興には長期間かかるということで、新しい発想があり、しがらみのない、そして長期的な視野を持っている30、40代を中心にして、ベテランは調整役になったことがよかったのかもしれません。「還暦以上は、口出すな」との若い人たちの意欲が表れています。そして、外から若い人を呼び込んで住んでもらえる町にしようとがんばっています。
 「還暦以上は、口出すな」の意気込みで、若い人がもっと意欲を持って参加することは、国の政治や地方の行政、さらに、ロータリークラブでも重要な事だと思いますので、我がクラブも復興策を考えないで済むように、若い新入会員を増やして、永久に不滅なクラブにしましょう。

第1426例会 平成27年3月4日

テーマ「サラリーマン川柳」

 恒例の第一生命保険主催の第28回サラリーマン川柳の投票が始まりました。
 私が選ぶベスト10を発表します。
 ・妖怪か ヨー出るヨー出る 妻の愚痴 (ごまさん)
 ・おい!おれを メタボと呼ぶな ゆるキャラだ (浮薄呆言)
 ・年老いて モトがとれない 飲み放題 (ひとり爺ッち)
 ・化け学が あればかみさん ノーベル賞(仮面ライダー)
 ・レジェンドと 呼ばれる事もなく 定年に (祝 還暦)
 ・もう10日 妻とのライン 既読なし (ちびおやじ50)
 ・シニアだが リニア乗るまで 生きてやる(ゆいとじい)
 ・Let it go 私ら世代は Let it be (血液型UDON)
 ・アナとユキ わたしゃ胃にアナ 医者にユキ (猫介)
 ・うちの妻 マツコよりも デラックス (掲点肥え)
 以上の中からベスト10に選ばれるのはいくつかになるか楽しみです。
みなさんもロータリー川柳で創ってみてはいかがでしょう。

第1425例会 平成27年2月25日

テーマ「長生きの秘訣は自分は若いと感じること」

 実年齢に対し、自分のことを若いと感じるか老けていると感じるかは、健康や幸福感などの影響を受けやすいことがこれまでにも指摘されている。英のUniversity College London のAndrew Steptoe氏は、「実年齢より老けていると感じている人と比べ、若いと感じている人では死亡リスクが約40%低いことが示唆された」とする研究結果を報告した。
 2004~05年における52歳以上の6489例のデータを解析。年齢に対する自己認識は、「自分は何歳だと感じるか」という質問を行い、2013年3月までの全死亡およびがん、心血管疾患による死亡データを収集。自己認識による年齢が①実年齢と同等(2歳下~1歳上)の群②実年齢よりも1歳以上老けていると感じている群③実年齢より3歳以上若いと感じている群の3群に分類した。実年齢の平均年齢は65.8歳で、自己認識年齢の平均は56.8歳であった。過半数(69.6%)が自身について実年齢よりも3歳以上若いと感じており、年相応としたのは25.6%、1歳以上老けていると感じていたのは4.8%であった。
 調査8年後の死亡率は、実年齢より若い群で14.3%、年相応の群で18.5%、老けている群で24.6%であった。死因別の解析では、自己認識年齢は心血管死と強く関連していたが、がん死との関連は認められなかった。これらより実年齢より老けていると感じている人の死亡率は、実年齢より若いと感じている人と比べ41%高かった。
 こうした関連の機序は不明であるが、可能性としては、健康な体を維持したり、医師の助言に従うなど健康に関する行動を持っていること、疾患からの回復力の違い、優越感、気が若い仲間と集うことを好む気質などがあることが考えられる。
 この事は、ロータリークラブにおいても会員増強もできないとあきらめているとクラブの消滅につながっていくことと同じである。若い会員を入れて、一緒にロータリー活動をするとクラブは若返り、会員自身も、もっと若返り長生きできるようになると思われる。そのためにも、積極的に会員増強をしていきましょう。

第1424例会 平成27年2月11日

なし

第1423例会 平成27年2月4日

テーマ「ふるさと納税してみませんか」

 「ふるさと納税」で高級グルメなど地方特産品がもらえ、4月からは手続きも簡単になるとテレビや雑誌で最近は話題になっている。
 元々「ふるさと納税」は、居住地と別の自治体などに寄付をした場合、一定額を上限として所得税や住民税などの控除を受けられる制度です。最近では寄付した自治体からの特産品などが注目され、人気が高まっている。
 現行制度(2014年12月まで)は寄付をした場合、その領収書を持って確定申告が必要でした。ところが、2015年4月からは「ふるさと納税」による減税を「住民税」に一本化し、寄付を受けた自治体が、当人が居住する自治体に対して寄付情報を通知するという形にすることで、納税者は特別な手間をかける必要がなく、寄付した金額を住民税の減税という形で対応してもらえるようになった。さらに、「ふるさと納税」による所得控除の上限額は所得税の一定額と個人住民税の所得割額の1割となっていたのが、2割までとなった。
 特産品をプレゼントすることで自治体にはたくさんの寄付が集まる。県内の平戸市では、寄付の額に応じてポイントを設け、そのポイントで平戸牛やウチワエビなど選べるようにして寄付を集め、昨年度は10億2420万と前年度の26倍の寄付を集めた。これは、平戸市の市民税の10億5370万とほぼ同じ額になる。そうなると、受けた自治体は収入が増えた分は国からの地方交付税が減らされのでは思われるが、寄付金扱いになるので減額されずに丸々得になる。
 それに対して、「ふるさと納税」を出した住民のいる自治体は、利用額のうち2000円だけが残り、あとは減税することになるので、減収になる。そこは「税収減」とみなされるので、国からその分の25%割り引かれて地方交付税が補われる。
 例えば、1万円「ふるさと納税」し、6000円の高級牛肉をもらえるケースでは、受けた自治体は差額の4000円が収入増となる。持っていかれた居住自治体は2000円を引いた8000円が税収減となるが、そのうち25%引きの6000円が国から地方交付税で補われるので、2000円の損となる。納税者は、翌年に8000円が還付され、6000円の高級和牛をもらえたので4000円の得になる。国の地方交付税特別会計は6000円の損となる。
 このように、地方自治体は収入増となり、地方業者も業績が上がり地方は潤い、納税者にとってもお得な「ふるさと納税」をやってみませんか。

第1422例会 平成27年1月28日

テーマ「節分の話」

 節分は、季節の分かれ目の意味で、元々は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日をさしていた。節分が特に立春の前日をさすようになった由来は、冬から春になる時期を一年の境とし、現在の大晦日と同じように考えられたためである。
 立春の節分に豆をまく「豆まき」の行事は「追儺(ついな)」と呼び、中国から伝わった風習である。俗に「鬼やらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」などと呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、文武天皇の706年に宮中で初めて行われた。
 一般的に豆まきに使う豆は炒った大豆であるが、豆まき後の掃除が簡単なこと、まいた豆も食べられることや、まいた豆から芽が出ては不都合であったためである。豆は「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うと意味合いがある。
 長崎では、カナガシラをガッツと呼び節分の日に食べる。これはカナガシラ(金頭)とい名が「縁起がよい」「お金が貯まる」に通じるためである。ガッツは冬が旬でおいしく節分の日だけは値段も普通の日の4~5倍にはねあがる。
 最近は、節分に恵方巻きを食べるのが流行している。これは「巻く」ということから「福を巻き込む」、「切らずに食べる」ことから「縁を切らない」という意味が込められているという説が有力である。また、巻ずしの形が黒くて太いことから、鬼の金棒にみたて豆をまくのと同じように、鬼の金棒を食べて鬼退治をする意味もあるようである。恵方は毎年変わり、2015年は西南西の方角になり、恵方を向いて、無言で御願い事をしながら、巻ずしを丸かぶりして、多いに福を呼び込みましょう。

第1421例会 平成27年1月21日

テーマ「インフルエンザへの対処法」

 今季のインフルエンザは例年より流行が早く、小児より成人の罹患者が多いことです。現在流行しているのは、ほとんどがA香港型で、高齢者には肺炎などの合併症が多い傾向がみられる。
 予防にはワクチンが有効ですが、接種したからといっても100%インフルエンザに罹らずにすむということではないことを理解していただきたい。ワクチンはIgG抗体を作るので、全身へのウィルスが増殖しないようにするために重症化を防ぎます。しかし、ウィルスの鼻や口などの上気道からの侵入にはIgA抗体によって防ぎます。現在の不活化ワクチンでは、IgA抗体は作ることができないので完全に防ぐことができません。将来は弱毒化されたウィルスのワクチンが承認されれば予防効果はかなりよくなる。
 家庭でできる予防法としては、うがい、手洗いとマスク着用が言われている。うがいは、ウィルスが口から侵入したら30分以内にしないとほとんど効果がありません。うがいよりも手洗いが重要です。感染の可能性があると思ったらすぐに石鹸で指先、指間や手首まで洗って水で洗い流してください。感染者と思われる人からのウィルス量は、距離の二乗に反比例しますので、2m以上離れた方がよいと思います。マスクは感染者が他人にうつさないためのエチケットであって、予防にはあまり効果はありません。しかし、人混みや患者のそばでは、顔にフィットするようにマスクすることは効果的です。
 インフルエンザ治療薬には、経口薬のタミフル、吸入役のリレンザ、イナビル、そして、点滴静注のラピアクタがある。高齢者で免疫力が低下している方や、早く治そうと思ったら、ラピアクタが有効です。
 タミフル、リレンザ、イナビルは予防投与ができるので、家族内感染予防や受験や出張の時に使用することもできる。
 インフルエンザでの肺炎合併はほとんどが高齢者ですので、予防のために肺炎球菌ワクチンの接種をお勧めする。

第1420例会 平成27年1月14日

テーマ「年末年始の慣習の由来」

 日経新聞に「年末年始の慣習 由来はご存じ?」とい記事があったので紹介する。
 餅入りの雑煮を食べるのは、餅は一年の幸せをもたらしてくれるという年神様への供え物で、「年玉」(年魂)ともいわれる。年神様が宿るとされる餅を食べ、新しい命をいただくという意味がある。雑煮は室町時代ごろに、まず胃を落ち着かせるために酒宴のはじめに出されていたものが、正月用の料理に転じた。
 お年玉をあげる・もらうのは、もとは「年魂」と書き、年神様への供え物だった丸い餅を指し、その餅を年神様からの贈り物として年少者らに分け与えていた。食べることで年を重ねたという。江戸時代後半ごろから餅が金銭に代わったとされる。
 神社ではまず神様に敬意を表して二拝し、二拍手で自分が来たことをお知らせし、最後にお礼の意味をこめて頭を下げる。拍手はかつて貴人に敬意をあらわす際にも行われていたことが関係している。古くは神社によって作法が様々だったといわれるが、明治以降には現在の方式に統一されるようになった。島根県の出雲大社や大分の宇佐神宮では、二拝四拍手一拝で参拝します。
 おとそは中国から伝わった薬酒で、邪気を払って長寿と健康を願って飲んだ。お神酒は日本酒で、おとそとは別物です。おとそは中国では唐の時代から飲まれており、日本には平安時代に伝わった。
 大みそかに年越しそばを食べることには、諸説あるが、一つは歳末に忙しかった商人が食べた「みそかそば」がもとになったという。細く長いそばを食べれば、寿命が延びるなど縁起を担ぎ、切れやすいそばは一年の労苦や災厄を切り捨てるともいわれる。かつては金を扱う職人が飛び散った金粉を練ったそば粉にくっつけて集めたために、金運が上がるといういわれもある。
 鏡餅を飾るのは、餅は神様にそなえる神聖な食べ物で、年神様が宿られるところ。大小の餅を重ねるのは、日(陽)と月(陰)を表したもので、福徳が重なって縁起がよいといわれる。
 おみくじの大吉や吉は持って帰るのは、よい運を自分の身にとどめるため。かつてはおみくじは護符の意味合いがもあったためである。凶が出た場合は境内の所定の場所に結ぶことで福に転じるともいわれることもある。
 慣習は古いものばかりとは限らず、例えば初詣は明治時代以降に一般的になったものもある。

第1420例会 平成27年1月7日

テーマ「年始の挨拶」

 皆様、明けましておめでとうございます。昨年は会員の皆様のご協力で会長職を無事に過ごすことができまして、本当にありがとうございました。本日は、同伴新年会にたくさんの奥様方に出席いただきありがとうございます。これで、今年の30周年記念式典の成功は間違いないと確信いたしました。
 今年はアベノミクスのおかげで4年連続の株高と給料の賃上げで景気はよくなると予想されています。なにせ今年は羊年ですので「うメー話」になるのではないかと思っています。
 さて、クラブにとって一番重大な30周年記念式典が2月7日に行われます。今はその準備で記念式典委員の皆様は奮闘しているところです。式典は「おもてなし」の気持ちで執り行いたいと思っていますので、奥様方のご協力なしでは決して成功できません。ぜひとも全員が出席していただき、御主人がやっているロータリー活動を理解していただき、出席者には心温まる式典だったなと思わせるようにしたいと考えています。
 ところで、諫早市では年末年始にかけて、インフルエンザが大流行しております。特に大人が3分の2を占めていますので、年早々にインフルエンザに罹らないようにご注意ください。
 最後に諫早西ロータリークラブの益々の発展と皆様方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げて、新年の挨拶とさせていただきます。

第1418例会 平成26年12月24日

テーマ「ノーベル賞とロータリアン」

 ノーベルの命日の12月10日にノーベル賞の授賞式がありました。日本人の3人が物理学賞を受賞し、スウェーデンのストックホルムのコンサートホールで授賞式があってテレビなどでたくさん報道されました。しかし、平和賞はノルウェーのオスロの市庁舎で行われたのをご存知でしょうか。実は、ノーベルの遺言でノーベル賞を作ろうとした頃は、スウェーデン国王がノルウェー国王を兼務していて、両国の関係は良好でなく、ノルウェー国会の反対などもありました。そこで、両国の和解と平和を祈念して「平和賞」はノルウェー政府が行うようになりました。
 今回の平和賞の受賞者であるパキスタンのマララ・ユスフザイさんの父親、ジアウディン・ユスフザイさんは、ミンゴラ・スワート・ロータリークラブの会員です。以前から地域の改善のために、さまざまなプロジェクトを実施していて、地元の病院への医療機器の寄贈、浄水プラントの建設、地雷で手足を失った人のための人工義肢を提供する移動クリニックの設立などを実施した非営利グループ「Swat Relief Initiative」の立役者でもあります。ジアウディンさんは現在、ゴードン・ブラウン国連世界教育特使(元英国首相)の顧問役を務めています。
 ノーベル賞をもらった著名なロータリアンとしては、小説家で1929年に文学賞をもらった「パウル・トーマス・マン」、医者で1952年に平和賞を受賞した「アルベルト・シュヴァイツァ―」、政治家で1953年に文学賞を受賞した「ウィンストン・チャーチル」そして、第39代アメリカ大統領で、2002年に平和賞を受書した「ジェームズ・アール・カーター」などがいます。
 現在、国際ロータリーが進めているポリオ撲滅運動によって、3年間一例の報告もなくなりポリオ撲滅が達成された時には、団体として国際ロータリーがノーベル平和賞を受賞するかもしれません。

第1417例会 平成26年12月17日

テーマ「教育勅語について」

 教育勅語は、1890年(明治23年)10月30日、明治天皇が内閣総理大臣と文部大臣に対して与えた勅語である。これは、明治維新以後に西洋の学術・制度が入る中、軽視されがちな道徳教育を重視したものである。儒教や仏教を使うことは明治政府の理念に合わずに伝統的な道徳観を天皇を介する形でまとめたものが教育勅語である。
 1900年(明治33年)には、祝祭日に学校で行われる儀式では教育勅語を朗読することが定められた。特に戦争激化の中にあって、1938年(昭和13年)に国家総動員法が制定・施行されると。その態勢を正当化するために教育勅語を軍国主義の教典として利用された。戦後、1948年(昭和23年)6月19日に国会の衆参両議院による決議で廃止された。

教育ニ関スル勅語(教育勅語)
 私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国をお始めになったのは遥か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良く、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
 このような道は実に、我が皇国の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

 これは、神が国を作ったという神道的な考えではないか、天皇の臣民という考えを押し付けている、戦争が起こったら兵隊に行って戦い、皇国の繁栄に尽くすべきだと教え込んでいるなど批判がある。
 しかし、戦争に関する分を除いた父母、兄弟、夫婦愛などに関する11の徳目は、現代社会で失われている道徳観を考え直す参考になるのではないだろうか。

第1416例会 平成26年12月10日

テーマ「善意と戦略の経営者:大原孫三郎」第2回

 今回は、大原孫三郎の社会貢献について話します。彼が謹慎中の明治32年(1899年)の夏、近所の小学校校庭で開かれた岡山孤児院の音楽幻灯会で、ボロ布をまとった石井十次の並外れた奮闘を見て、寄付金箱に所持金すべてを入れたほど感動したそうです。その後、岡山孤児院を度々訪問し、石井十次が大正3年(1914年)に宮崎茶臼原でこの世を去るまで、両者の親交は続いた。聖書の中の「汝この世の富める者に命ぜよ、高ぶりたる思いを持たず、定めなき富をたのまず、善き事を行い、善き業に富み、惜しみなく施し、分け与うることを喜ぶべし」を孫三郎は繰り返し暗唱していたそうです。
 このように、聖書から大きな影響を受けたが、同時に二宮尊徳の報徳思想の影響も受けた。尊徳は、頭の中に理念が詰まっていたとしても、それを応用して現実に役立てなければ無益であると説き、善意とみなしたら即座に実行することを説いている。さらには、富者が現在の立場や財産を保有しているのは、すべて先祖のおかげであるのだから、そのことをきちんと認識して謙虚でなければならないと警告している。
 さらに、空想的社会主義のロバート・オーエンの労働理想主義の見地にたって、工場労働者のための宿舎や生活必需品の販売制度などの改革を実践し、労働者のための福祉施策を実行した。倉敷紡績の従業員の医療体制を充実するために、倉敷紡績病院を設立し、単に従業員とその家族のためだけでなく、地域住民も受診できるようにし、東洋一の理想的な病院、治療第一の病院、そして病院くさくない明るい病院をコンセプトに創設した。その後倉敷中央病院となり、現在は研修医の間での認知度の高い有名な病院となっている。
 大原奨学生であった東京美術学校の児島虎次郎の誠実さに打たれ、孫三郎は手厚い支援を行った。「日本の若い画学生のために、本場の名画を蒐集して帰りたい」との画家である虎次郎の願いを聞き入れて欧州留学中に名画の蒐集を行わせた。その名画を大原邸近くの倉敷小学校で作品展覧会を開いたら、長蛇の列ができるほど好評で孫三郎自身も驚いたそうです。「小生は画の事は素人なれど」という孫三郎を虎次郎は説得して、美術館建設を持ちかけたが、虎次郎の死によって中断した。その後、その友情の証しと、社会への富みの還元、社会貢献のために昭和5年(1930年)大原美術館を設立した。
 晩年「心血を注いで作ったと思っているものが案外世の中に認められず、ほかのものに比べれば、あまり深く考えなかった美術館が一番評判になるとは、世の中は皮肉なものだ」と語ったそうだ。
ロータリーの理想とする社会奉仕、そして職業奉仕を実践し、現在言われている地方創生を行った大原孫三郎の生き方を我々も参考にしなければならない。

第1415例会 平成26年12月3日

テーマ「善意と戦略の経営者:大原孫三郎」第1回

 城山三郎の「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」を読んだ方も多いと思うが、大原孫三郎は私の尊敬する経営者の一人です。彼については、大原美術館を設立し、いろんな社会事業にお金を使った慈善家として有名ですが、実は積極的な経営者でもあったのです。
 大原孫三郎は、明治13年(1880年)に岡山県倉敷市の大地主で倉敷紡績(現クラボウ)を営む大原孝四郎の三男として生まれた。しかし、上の兄が亡くなり唯一の男の子となったために、甘やかされて育てられ、癇癪持ちで気性の激しい子供だったようだ。東京専門学校(後の早稲田大学)に入学するも講義にはほとんど出席しないで、悪友に誘われて花柳界へ足を踏み入れるようになり、高利貸しに借金をして、その額は15000円(現在の1億以上)にもなったようだ。そのために倉敷に連れ戻され、謹慎の身となった。
 父の孝四郎は「満は損を招き、謙は益を招く」という謙受説をモットーにしており、倉敷紡績の社章として「二三のマーク」(漢数字の二の字の下に三角形をなす点、三つからなる)を考案した。これは、「とかく人間は一番だと思うと慢心し、心が弛緩して退歩するものであるから、いつも一番に迫ろうとする希望に満ちた二、三番の謙虚な気持ちで不断の努力を続けるべきである」という意味が込められている。その後、孫三郎が創設した倉敷絹織(現クラレ)の社章「二三印」にも同様な意味が込められている。
 明治39年(1906年)、倉敷紡績の社員寮内で腸チフスが流行し、社員数名が死亡し、その責任を取る形で父孝四郎は辞任し、孫三郎は社長となった。就任と同時に工員の労働環境改善を図り、従来の飯場制度を廃止し、従業員の確保、食事の手当、日用品の販売等を会社が運営するよう改め、工員の住宅も集団寄宿舎から今日の社宅に近い状態に改めて、工員の社宅通勤主義を実行した。
 孫三郎は、有能な経営者であって、積極的経営策は、どれも功を奏し、後の発展につながっていった。父孝四郎が設立した倉敷銀行を岡山県の中小銀行を合併していき、中国銀行の頭取にまでなった。
紡績業では蒸気機関から電気への転換が起こっていて、孫三郎は自ら電力会社を設立して経営し、小規模の電力会社の乱立を回避するための合同・合併を推し進め、現在の中国電力の形成に一役を買ったのである。このように、産業振興に必須の両輪であると考えた金融と電力事業の基礎づくりに大きな役割を果たしたのである。
 紡績産業は、第一次大戦後の世界恐慌で不況の影響を受けていた。その打開策としてこれから発展しそうな人絹(人造絹糸、レーヨン)事業を始めようとした。しかし、倉敷紡績の重役が難色を示した。それに対して「仕事を始める時には、十人のうち二、三人が賛成する時に始めなければいけない。一人も賛成がないというのは早すぎるが、十人のうち五人も賛成するような時には、着手しても手遅れだ、七人も八人も賛成するようならば、もうやらない方が良い」と息子の總一郎に語り、孫三郎は先見の明と勇気を持っていた。しかし、同時に、他人の意見に耳を貸す姿勢と正確な状況判断も兼ね備えていた。

第1414例会 平成26年11月26日

テーマ「理想の医者8カ条」

 11月18日(火)の朝日新聞に「医者めざす弟へ兄からの8カ条」という記事があったので紹介する。
 長野県箕輪町の中学1年の山田倫太郎君(13)は、左心室と右心室が分かれていない「フォンタン術後症候群」という14000人に1人の難病で、手術を重ねたが、今も腸からタンパクが漏れる合併症で点滴が欠かせない状態です。免疫力が落ちているため運動や過労は禁物だが、学校には酸素吸入器を付けて通い続けている。
 今年初め、4歳の弟の恵次郎君が人体図鑑を眺めて「お兄ちゃんを治したい」と言い始めた。それを聞いた倫太郎君は7月、弟を励まそうと、倫太郎君が思う理想の医者像をパソコンで一気に書き上げた。
 良い医者の心得の8カ条は次のようなものです。
 1.患者さんの家族、趣味など、患者さんの生活全体を見て接しよう。
 2.患者さんは、誰もが自分の受ける治療や検査などに、不安を抱えている。しっかり、分かりやすく説明してあげよう。
 3.患者さんは、いつ苦しみだすかわからない。大事なのは、その時に、君が患者さんのために、とっさに体が動かせるかだ。
 4.入院している患者さんにも、自分の生活がある。検査や治療は出来る限り患者さんの生活に合わせてやるべきだ。
 5.入院している患者にとって、ベッドは我が家のようなものだ。採血や問診に行く時は、人の家にいくような感じで行こう。
 6.患者や、患者の家族は、手術や検査の結果を心待ちしている。終わったらすぐに知らせてあげよう。
 7.患者さんとの関係は、治療が終わればおしまいという訳ではない。
 8.医師はどんな状況でも諦めてはならない。思わぬ治療法があるかもしれないからだ。医師が絶望的と思っても、患者や家族にとっては違うかもしれない。
 「これらの文章には、生きることへの感謝と真摯な姿勢があふれている。かみしめて読んでほしい」と長野県立こども病院循環器センター長は述べている。
 我々小児科医も上から目線でなく、一人の大人として認めて、納得するような説明をして、理解させて治療に当たらなければならないと感じた。

第1413例会 平成26年11月19日

テーマ「スギ花粉症に舌下免疫療法が登場」

 例年、1月からスギ花粉症の季節ですが、今年10月より、新しい治療法としての舌下免疫療法が登場しました。スギ花粉症の治療では、薬物治療による対称療法が中心ですが、免疫療法は、スギ花粉を少ない量から徐々に増やして体内に入れて、体質を徐々に変えていく治療です。免疫療法によって、20~30%で花粉症が治癒し、30%以上でかなり楽になり花粉症の薬が激減し、20~30%で症状はあるが以前より楽になります。残念ながら10~20%の方には治療効果がありません。全体では80%以上の方に効果があります。
 以前より、免疫療法としてはスギ花粉症を含んだ注射液を低い濃度から徐々に濃度をあげながら注射し、毎週1回の注射を4~6か月程度続けると最大の濃度となります。最大の濃度に達したら、次に注射の間隔をあけていき、1か月に1回の注射になり、3年以上続けることで、治療効果がみられていました。注射による方法では、痛みがあり、週1回の通院が必要なために大変でした。
 そこで、注射に代って、舌下免疫療法が開発され、今年の10月から、保険適応となりました。
 舌下免疫療法は、シダトレン(商品名)という名前のスギ花粉を含むエキスを舌の下に滴下します。舌の下に保持したまま2分間そっとしておき、その後に飲みこみます。これを最初の2週間で量を増やしていき、3週目からは同じ量の薬を毎日舌下投与します。1回目の舌下投与は医療機関で行いますが、以降は毎日自宅で行います。最低2年間は続け、できれば3年以上続けることが勧められています。効果がでるのに2~3か月かかりますので、今年は11月までに治療を開始しないといけません。スギ花粉症の時期(1月から5月)には、安全上治療は開始できません。
また、適応年齢は12歳以上になっていて、講習会を受けた医師しか処方ができませんので、製薬会社のホームページで確認してから、受診してください。
 花粉症の薬がたくさんいるので、少しでも症状をよくするか、薬を減らしたい方や、まだ若いので、これからずっと毎年花粉症で悩みたくない方にお勧めの治療法だと思います。

第1412例会 平成26年11月12日

なし

第1411例会 平成26年11月5日

テーマ「ノーベル平和賞マララさんのスピーチ」

 今年のノーベル平和賞に決まったパキスタン出身の17歳のマララ・ユスフザイさんのスピーチを紹介します。
 「価値あるノーベル平和賞受賞者に選ばれて名誉に思います。この賞を受ける初めてのパキスタン人、初めての若い女性、若者であることを誇りに思います。
 インドのカイラシュ・サティヤルティさんとともに受賞できて、本当に幸せです。子どもの権利のために、児童虐待や虐待と闘う素晴らしい仕事に心を動かされます。彼とこの賞を分かち合うことができて、光栄に思います。私たちは二人ともがノーベル平和賞の受賞者です。一人はパキスタン、もう一人はインドの出身。一人はヒンドウ―教、もう一人はイスラム教をあつく信仰しています。これはパキスタンとインド、そして異なる宗教の間にいる人々に愛のメッセージを与えます。そして私たちは互いに支持し合っています。
 まず初めに私の家族、大切な父や母の愛情や支援に感謝したいと思います。父がいつも言うように、何か特別なことをしてくれたわけではありませんが、父がしたことは私の翼を切らないということです。ありがたいことに父は翼を切るのでなく、羽ばたかせ、目標を達成させてくれました。
女性は母親や姉妹、そして妻であるだけではありません。アイデンティティーを持ち、男の子と同じだけの権利を持っているのだと評価されるべきです。
 受賞したことでおしまいではありません。私が始めた活動の到達点ではなく、始まりに過ぎないと思います。すべての子どもに学校へ行ってほしい。いまだに5700万人もの子どもが教育を受けられず、小学校にすら通えていません。すべての子どもたちに学校へ行って、教育を受けられるようになってほしい。
 私自身、パキスタンのスワート渓谷で同じ境遇にいました。ご存じの通り、そこはタリバーンの支配下にあり、学校に行くことが許されていませんでした。私には二つの選択肢がありました。一つは声を上げずに、殺されるのを待つこと。もう一つは声を上げ、そして殺されること。私は二つ目を選びました。学校に戻りたいがために、私は声を上げる必要があったのです。自分もまた、教育を受けられなかった女の子の一人でした。学びたかった。勉強して、将来の夢を実現したかった。普通の子どもと同じように、夢がありました。あの頃、私は医者になりたいと思っていました。
きっと13、14歳で結婚するような人生を送るんだろうなって。学校に行かず、本当にやりたい仕事ができない。それならば、と声を上げる決心をしました。
 自分のことを伝えることで、世界中の子どもたちに、自分たちの権利のために立ち上がろうと呼びかけたかった。他人が行動するのを待っていてはいけない。子どもたちの声はずっと力強い。子どもは弱者かもしれない。でも、だれも何も言わない時に声を上げれば、みんなの耳が届くほど、大きく響かせることができるのです。だから世界中の子どもたちは言いたい。自分たちの権利のために立ち上がりましょう。
 私がいただいたこのノーベル平和賞ですが、ノーベル賞委員会が私にだけ与えたわけではないはずです。伝えるべきことがありながら、声を上げられない子どもたち、すべてに授けられた賞なのです。良質な教育を受ける権利や児童労働から逃れ、人身売買の被害にあわないですむ権利。そして、幸せな人生を過ごす権利があるのです。だから私はこれらの子どもたちに寄り添います。今回の賞はまさに彼らのためのもの。子どもたちの勇気に与えてくれたのです。
 これまでやってきた活動に対するご褒美ではありません。これからも継続できるようにと私を勇気づけるための賞なのでしょう。自らを信じ、自分がひとりぼっちではなく、数百、数千そして数百万もが支えてくれると知るための。
 いま一度、みなさまにお礼を申し上げます。

第1410例会 平成26年10月22日

テーマ「世界が認めたニッポンの居眠り」

 オーストリアのブリギッテ・シテーガ氏の書いた同名の本によると、日本を訪れる外国人が再三目にすることが、日本人には人前で昼間に眠ってしまうという習性がある。電車内を見れば眠っている人だらけだし、タクシーの運転手はエンジンもかけっぱなしで眠りながら客待ちしている。勉強や仕事の合間、プレゼンを聞いているさなか、図書館内、さらには会議や授業中にも当たり前のように眠っている。
 こうした眠りは日本では居眠りと呼ばれる。この言葉は「居る」と「眠り」の合成語である。言い換えれば「居合わせてはいるが眠っている」、あるいは「眠りながら出席している」ということである。眠りの深さとか、夢を見ているかどうかとは無関係で、傍目には何かほかのことをやっている間に陥る睡眠のことである。
 日本の古典文学研究では、居眠りが平安・鎌倉の時代にすでに広まっていたこと、現代社会だけの現象ではないことが分かる。よく出てくるのは、警固の者がいつも柱や武器にもたれながら座って眠っている場面で、睡眠中も注意を怠らないでいるという業は一般的には武士だけにできることである。その能力を表現したもっとも有名な例は、日光東照宮の眠り猫である。この猫は徳川家康の象徴であり、家康は眠っているときもあらゆる方面に監視の目を向け、しばしば眠っているふりをしたとされる。逆にいえば、人前では決して身の安全が保証されていなかったということである。居眠りをしている人は、周囲に対する注意をすっかり失ってしまうことなく寝ていたのである。
 また、明治の文部省は健康管理について、「夜起きていて昼に眠ると健康を損ねる。だからそれは慎むべきである。睡眠時間については、子どもは大人より長く、冬季は夏季より長いが、基準値としては大人の睡眠は八時間とする。だが多くの人たちは、わずか六時間の睡眠を習慣としている。」これをみると決して、せわしい現代と睡眠時間はあまり変わらず、睡眠不足が居眠りの原因でないことがわかる。さらに、サラリーマンの眠りが居眠りと呼ばれているのに対し、労働者の眠りは昼寝と呼ばれている。
 一方で、居眠りを隠れ蓑にしている場合がある。電車で座って目を閉じている人が、全部眠っているわけではない。目をちょっと休めたいと思っている人もいれば、眠っているふりのこともある。居眠りをすれば社会的にその場にいないことになり、自分の姿を消すことができるのである。
 居眠りは、社会的には睡眠とは見なされていない。居眠りしている当人は「睡眠とは異なる状況」において「社会に参加しながら」眠っているのであり、まさに文字通り「居+眠り」しているのである。通勤中の居眠りも乗客は大事な合図に注意を払っていて、自分が降りる駅の直前に目を覚まして下車していく。
 睡眠を研究している科学者によれば、眠気には脳を「過熱」から守る働きがあり、20分ほどの昼寝の方が居眠りより回復に効くといわれ、居眠りは、数分しか眠ることができない場合のみに、勧めている。長めの眠り、したがって深い眠りは肉体的疲労からの回復に特に役立つが、一方、極端に短くて浅い眠りは爽快な気分にしてくれるようだ。日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹は、うたた寝をしていたときに重要な中間子論を発見したとされる。これは、人間の脳が左脳と右脳に分かれていて、互いに異なる機能を果たしていて、左の論理脳は分析的であり言語を担当しているが、右の空間脳は映像の認識を行う。創造性を発揮する右脳の活動を高めるのが居眠りなのである。
 このように居眠りは、社会的な隠れ蓑として役立ち、ストレスが減り、ひらめきが起きるなどいろんな効用がある。自分に合った居眠りを楽しく身に着けていただきたい。

第1409例会 平成26年10月15日

テーマ「長崎国体開会式に出席して」

 10月12日(日)に開催された長崎国体の開会式に、クラブを代表して出席しましたので、その内容を報告します。
 11時前に入場しましたが、雨の中を身分証明書の確認、手荷物検査と金属探知機のゲート、カメラの動作確認と非常に厳しいチェックを受けました。メインスタンドの3階席で、右側には天皇・皇后陛下の席が見えて、また、映像スクリーンもよく見えるいい場所でした。
 オープニングプログラムが始まる11時頃には、雨がやんで、子どもたちによる「はばたけがんばくん体操」、御夫人方による諫早のんのこ節、太極拳、ぶらぶら節などの長崎の民謡が披露されました。その後、長崎がんばらんば紀行として草野仁さんの司会で、長崎の魅力発信を五島、佐世保、諫早・大村、島原、そして長崎を映像で紹介され、そして、さだまさしさんと一緒に子ども達によるがんばらんば体操でオープニングが終わりました。
 13時10分過ぎに天皇・皇后両陛下がお見えになり、そしてブルーインパルスによる祝賀飛行が披露されました。その後の式典前演技では、中・高生によるすばらしいマーチングと踊り、そして、小学生・特別支援学校の児童による踊りが披露されました。
 14時前より式典が始まり、鹿児島を先頭に、最後は総勢800人以上の長崎県の役員・選手団の入場があり、中村知事のあいさつがありました。そして、東京都より天皇杯と皇后杯の返還がなされ、張富士夫大会会長のあいさつがあって、その後、下村博文文部科学大臣のあいさつでは、「現在、台風の影響はありません。奇跡です。」の言葉に会場から拍手が湧きました。
 男女3組でリレーして炬火が45年前の炬火台に点火され、鳩の形をした風船が風に乗って羽ばたきました。そして、選手宣誓がなされて、式典が終了し、天皇・皇后両陛下はお帰りになりました。その後、役員・選手団が拍手の中を退場していきました。
 最後に、エンディングプログラムは九州男によるライブが行われて、舞台前には、子ども達が集まり一緒に踊って楽しんでいました。
 台風19号による雨の予報の中で、開会式中はほとんど雨も降らないで予定通り遂行できたのは、天皇・皇后両陛下のおかげだとつくづく感じたしだいです。

第1408例会 平成26年10月8日

テーマ「長崎くんち」

 16世紀末に、長崎の領主だった大村純忠は、長崎の地をイエズス会に寄進した。その後、キリシタンにとっては仏教や神道は異教とみなされ多数の寺社を焼き討ちし、破壊してしまった。当時、諏訪神社があった場所には神宮寺という神仏習合の寺院があったが、それも焼き討ちにあってしまう。
 こうした状況を憂いた佐賀県唐津の修験者の青木堅清が諏訪・森崎・住吉の三社を西山郷円山(現在の松森神社辺り)に祀ったのが始まりです。その後、長崎で神道再興の願いを込めて造営したのが、諏訪神社で、オランダや中国などの外国由来の文化が多く根付く長崎で、諏訪神社は日本文化を代表する存在となり、敬意を込めて「おすわさん」と呼び親しまれるようになった。
 諏訪神社が完成した頃、長崎奉行・竹中采女正重義によるキリスト教への弾圧はますます厳しくなってきて、こうした中、1634年(寛永11)年、長崎奉行は諏訪神社を長崎の氏神と定め、旧暦九月七日と九日を祭礼日として、七日は御旅所への神輿の渡御(お出まし)、九日に諏訪神社への還御を行うことにした。これが長崎くんちの始まりである。
 「くんち」とは、九日(くにち)の発音が転じたもの、また九月九日が重陽や重久と呼ばれ、とても縁起のいい日ともされていたため、この九日(くにち、くんち)に行われた祭礼を「くんち」と呼ぶようになったのである。
 地元では一般的に「くんち」と呼ばれるが、「おすわさん」への敬意を表し「おくんち」という人もいる。現在、長崎くんちの踊町は五九町で、それが七つに分かれて1年に五~七町ずつの当番制で、七年廻りとなっている。
 長崎くんちは、キリスト教弾圧が進む江戸時代に、キリシタンが多い長崎の町で、半ば強制的に始まった神社の祭事でした。また、貿易で豊かになる商人にお金をつぎ込ませ年々豪華にさせていって、商人の勢力が増大しないようにするための祭事でもあったのです。
 長崎くんちの歴史を見ると、明治になって華美禁止令が出て、衰退ぎみになり、昭和4年になって再び観光客誘致を目的として、商工会議所・長崎市の後援によって、再び復興することになった。しかし、昭和12年は日中戦争勃発で中止となり、戦前は細々と行われていた。昭和20年10月7日、原爆投下からわずか59日目には長崎くんちが開催され、その後は、年々豪華になり、今や全国に知られる長崎市民総出の祭りとなっていき、現在は日本三大祭りのひとつにも数えられ、国の重要無形文化財に指定されている。

第1407例会 平成26年10月1日

テーマ「肺炎球菌ワクチンの定期接種を受けましょう」

 2014年10月から小児の水痘ワクチンと高齢者への肺炎球菌ワクチンの定期接種が始まります。我が国では肺炎で亡くなる方が増加していて、2011年には脳血管疾患を抜いて死因の3位となりました。その肺炎で亡くなる方の95%が65歳以上の高齢者であることが挙げられます。高齢者の肺炎をいかに予防していくかが急務だと思われます。
 そして、2005年の発表では、肺炎で入院した65歳以上の患者の原因微生物は30.3%が肺炎球菌でした。また、肺炎球菌は主に療養型病床群や介護施設での高齢者肺炎でも、重要な原因微生物の一つです。また、肺炎球菌には94種類の血清型がありますが、免疫反応は血清型特異的であり、たとえ1つの血清型の菌に感染して免疫を獲得した人でも、異なる血清型の菌にまた感染してしまいます。そこで、主な感染を起こしやすい23種類の血清型に対応できる23価肺炎球菌莢膜ポリサッカライドワクチン(ニューモバックスNP)が開発されました。この23種類の血清型は、成人の重症の肺炎球菌感染症の原因の約70%を占めていて、高齢者に肺炎球菌ワクチンを接種することにより、肺炎の発症リスクや入院リスクが低下し、さらに医療費が削減できることが明らかにされました。こうした肺炎の特性とワクチンの効果を鑑みて、今回の定期接種導入が決定されました。
 平成26年度(平成27年3月31日まで)に、65歳、70歳、75歳、80歳、85歳、85歳、90歳、95歳、100歳となる方と101歳以上の方が定期接種の対象となります。また、60歳から65歳未満の方で、心臓、腎臓、呼吸器機能、そしてHIVによる免疫機能に一定の障害などを有する方も定期接種の対象となります。
 平成27年度から平成30年度までは、該当する年度に65歳、70歳、75歳、80歳、85歳、90歳、95歳、100歳となる方が対象となります。つまり、全員を接種すると予算と医療現場が混乱するので、これから5年間をかけて、65歳以上の高齢者全員に接種を完了するためです。
小児の水痘ワクチンは無料ですが、高齢者への肺炎球菌ワクチンは市町村で異なっていて、諫早市は4000円の自己負担となっています。定期接種の実施主体は市町村ですので、お住まいの市町村に実施医療機関を問い合わせして、医療機関に予約して接種を受けてください。
 これからはインフルエンザの流行の季節ですので、肺炎の合併症を起こさないためにも、インフルエンザのワクチンも同時に接種した方がもっと効果的です。
 高齢者にとって肺炎を予防することは、健康で長生きするためにも大切なことです。そのためには、積極的に肺炎球菌ワクチンの定期接種を受けましょう。

第1406例会 平成26年9月24日

テーマ「フレーム効果と情報操作」

 最近の朝日新聞による慰安婦問題記事の訂正など、マスコミ報道の真実性などが疑問視されています。
 今回は、同じ事実でも表現方法によって、相手に伝わるイメージがかなり変わってきます。というよりも「意図的に変える」ことができるという話です。
 医療での簡単な例を挙げます。ある手術を行うかどうかを決める際に「失敗率(あまり良い言葉ではないですが、分かりやすさを優先するためにご容赦ください)が32%」と言うのでなく「成功率68%」と言えば伝わるニュアンスが良いものになるでしょう。
 また、肺がん治療で「手術か?放射線科か?」の選択を決める際に、データを生存率で示すか死亡率で示すかで医師と患者の選択がどう変わったか、という興味深い論文がありました。その結果は、手術のデータを生存率で示したら医師の84%、患者の78%が手術を選び、裏返しの死亡率で示したら、手術を選択した医師は50%、患者は40%に激減した、というものでした。ここから論文の筆者は、データの示し方次第で意志決定が大きく変わること、そして損失の方が過大に評価されやすい傾向のあることを指摘しました。この前者が「フレーム効果(framing effect)です。
 フレーム効果は日本語では「枠組み作り」となります。データは前後関係や背景でとらえることが大切ですから、何らかの「枠組み」で示されることが必要です。しかし、そうして与えられた「枠組み」によって、データはある一つの方向に解釈されやすくなり、それ以外の選択肢が見る方からすると無意識のうちに除外されてしまうのです。データを見る方でなく、示す方からすると、無意識にというよりも、意識的にも「枠組み」を作っていることが多いわけです。データを見る方は、受け身的な立場になりやすいのですから、なおさら、示し手の意図に注意が必要です。
 初めに紹介した手術成功率の説明は「利得の枠組み(gain frame)」と呼ばれ、失敗率の方は「損失の枠組み(loss frame)」となります。どんなメッセージを強調するかによって枠組み作りは変わります。例えば、「バラにトゲがあることを残念に思うか、いばらの茂みにバラがあることを喜ぶか?」、「グラスに水は半分しかないか、半分も入っているか?」など伝わるイメージが正反対になります。
 データのある一面ではなく、別の一面をより魅力的に見せようとする行為を英語ではスピニングと言います。Spinningの一般的な訳は「糸紡ぎ」で、そこから派生して「疑似餌による投げ釣りの技術」といった意味もあり、もう一歩飛べば、やや意訳ですが「情報操作」になります。情報の提供者は、疑似餌を細工してお目当ての魚を釣り上げるように、データの表現に工夫を凝らして、意中の相手を動かすのです。
 私たちも仕事において、データを示す側にもなりますし、受け取る側にもなります。データの示し方は、「嘘をついてる」わけでなくても、倫理的な問題をはらむ可能性もあります。フレーム効果による情報操作の力とその落とし穴を、使う立場でも、使われる立場でも十分知っておく必要があるでしょう。
 マスコミや政府も「枠組み」を作って、国民を思惑通りに導こうとするかもしれません。その事を常に考えて情報操作されないように、常に、もの事を正しく判断していってください。

第1405例会 平成26年9月17日

テーマ「水素燃料電池車はエコカーになれるのか」

 ロータリアンとして、環境問題を考えた時に比較的簡単に取り組めることとしてエコカーの選択があります。
最近、水素を燃料に走る燃料電池車をトヨタ自動車が今年度中に市販すると発表しました。名前も「ミライ」と名づけて、ホンダや日産も今後発売予定です。
 燃料電池車は走行時に出てくるのは水だけでCO₂を一切出さない「究極のエコカー」と言われています。ただ、実際に「CO₂フリー」かといえば、燃料の水素は現在、都市ガスや液化石油ガス(LPG)、石油から作られています。炭化水素から水素を取り出す過程でCO₂が発生するし、水素をタンクにつめて特殊なトラックで水素ステーションへ運ぶ時にもCO₂は出ます。
 日本自動車研究所の報告書によると、燃料電池車が1㎞走って出すCO₂量は、水素の精製や輸送時の排出量も含めて78g。ガソリン車は147g、ディーゼル車は132g、ハイブリッド車95gに比べ少ないのですが、電気自動車の55gより多くなっています。しかし、これは原子力発電所が稼働していた2009年のデータなので、電気自動車との差は少なくなっていると思われます。
 ただ、水素ステーションには一か所当たり約5億円の建設費がかかるために、政府は補助金の引き上げや機器の標準化を進めて費用を抑える取組みを強化しています。しかし、石油会社のように設置に積極的に取り組む企業もあれば、乗り切れない企業もあります。特にガス会社がためらうのは、次世代車として天然ガス車でのにがい経験があるからです。2000年前後の当時の石原東京都知事によるディーゼル車締め出しに対応してCO₂排出がガソリン車より25%少ない天然ガス車が脚光を浴びたのです。それに伴ってガス会社は設置するスタンドが2000~2003年には倍増しました。しかし、その後、低公害ディーゼル車が開発されたために、車体価格が約2割高い天然ガス車は売れなくなり、2010年までに100万台の目標が、現実には2012年で4万台と低迷しています。それに追い打ちをかけるように、設置費用などの国の支援が打ち切られたためにスタンドの撤退が目立ち始めたそうです。このような経験があるので、今は国が水素スタンドの費用などの補助を積極的に行っていますが、いつまで続けてもらえるのかなど不安材料があるためになかなか二の足が踏み切れないでいるようです。
 しかし、先月の新聞には、「大阪ガスが、LPGガスから燃料電池用の水素をつくる装置を年内にも開発、発売する。」との報道がありました。水素ステーションにこの装置を設置すれば、水素輸送の特殊車両や備蓄タンクが不要になり、設置費用も安くなり、普及が進みます。そうなれば、現在はガソリンの2倍近い水素燃料のコストが下がってくると思われます。
 いつまでも国から補助金を受けなくても済むように、各企業が一丸となって努力していかないと水素による燃料電池車の普及はないと思います。
 エコカーにおいても、このように多方面から検討しなければならないのに、環境問題に取り組むことは非常に大変なことです。しかし、踏みとどまっていては、先に進めませんので、まずは自分の身近な事から環境問題に取り組むことが大切だと思います。

第1404例会 平成26年9月10日

テーマ「つくしの里夏祭りに参加しましょう」

 9月13日(土)の16時から、森山町のつくしの里で夏祭りが開催されます。この夏祭りは入所している障害者とその家族、そして職員が、近隣の住民との「出会い」「触れ合い」「分かり合い」を実践するための毎年開かれているイベントです。
 つくしの里の設立経緯を調べてみると、昭和54年養護学校等の卒業生の受け皿として無認可通所援護事業「つくし作業所」を親の会事業として立ち上げました。その後、入所者が多くなり、平成11年4月より通所授産施設「つくし学園」(定員30名)を開設しました。一般就労を目指し、電動ミシンによる漁網用砂袋の縫製作業、農園で使う防虫ネットの作成、一般農園作業など様々な活動内容を取り入れています。こうした自立のための社会性、就労の基礎訓練を経て、既に平成23年までに8名が一般就労に漕ぎつけました。更に、自立生活促進のため当育成会が運営するグループホーム、ケアホーム(法人所有1戸、県営住宅2戸、一般借家3戸、定員30名)を運営しています。
 そして、比較的障害の重い人たちの活動の場として、平成18年に森山町に生活介護事業「つくしの里」を開設しました。両方の施設とも、共生社会の実現と、地域生活の充実、並びに、一市民として、社会参加のあらゆる機会を捉え、充実した地域生活の実現に努め、「障害のある人もない人も」共に助け合ってくらすことのできる「共生社会」の実現を目指しています。
 これは、知的障害のある人たちの親が、「親なき後」が心配で、「親ある内」に地域で安心して暮らせるようにしたいとの切実な願いをかなえるための施設です。そして、近隣住民や市民に障害者を理解して受け入れてもらうために、この夏祭りを開催しています。
 奉仕活動において、ロータリークラブは大学病院のようなもので、診療そのものが目的でなく、よい医者を養成するための実習の場、訓練の場であると前原元ガバナーは述べています。クラブの奉仕活動を通じて、どこに奉仕が必要か、これに対してどのように奉仕すべきかなどを学ばなければなりません。その意味では、夏祭りに参加して、障害者やその家族、そして、施設職員と触れ合って、この人たちに対して、何か奉仕できることはないかと自分なりに見つける機会になればと思っています。とにかく、参加しましょう。

第1403例会 平成26年9月3日

テーマ「配偶者をロータリーに」

 ロータリーの友8月号より国際ロータリー(RI)では、今年度末までに全世界の会員を130万人にする、という目標を立てています。
日本では、10万人を目標に、会員増強の計画が進められています。
 ところで、今年1月に開催された国際協議会で新年度のRIテーマを発表した時、ゲイリー・C・K ホァンRI会長は、「この中で何人の方がロータリアンでしょうか。ロータリアンではない配偶者の方は、何人おられますか?ここで、一つの提案があります。この部屋におられる方全員が、ロータリアンであるべきだと思うのです。ロータリアンは皆、自分の配偶者をロータリー入会へと誘うべきです。ロータリーを家族全員のものとしていただきたいのです。このアイデアを台湾で実践し始めた時のことをお話ししましょう。私たちは、自分よりも妻の方が友達づきあいが多いことに気づきました。妻がロータリーに入会すれば、友人をロータリーに誘ってくれる。それで、その友人はロータリーが男性だけの団体でないことを知り、『じゃあ、入会するわ!』となるわけです。クラブに男女両会員がいれば、活気が高まり、活動も活発になります。会員数がただ2倍になるのでなく、それ以上の恩恵が生まれ、奉仕のレベルもずっと向上します。皆さん全員がやってみるべきだと、私は考えています。アイデアを出し合い、共有することだと思います。」と、配偶者をロータリーに誘うことを提案しました。
 これまでも、夫婦でロータリアンという例はありました。しかし、その人は「ロータリアンの配偶者だから」とい理由ではなく、「職業人として素晴らしいから」という理由で入会を勧められ、たまたまその人の配偶者もロータリアンだったということでした。
 昨年4月に開催された規定審議会で、ロータリークラブの入会資格の一部が改定されました。「子どもの世話または配偶者の仕事の手伝いのために仕事を中断した人、または同じ理由のために仕事をしたことがない人であること」(「RI定款」第5条 第2節a 6 )
 これによって、仕事を持っていない配偶者にもロータリーへの門が開かれたのです。職業を持たない人たちがロータリーに入会することに反対するロータリアンは少なくありません。一方で、主婦(主夫)も立派な職業だとする意見もあります。
 この議論はさておき、長年ロータリアンとともにロータリーの活動に参加してきた配偶者が、ロータリーの良き理解者であり、また新しいアイデアでロータリーを活気づけてくれる存在だ、というのがホァン会長の思いなのでしょう。
 国際協議会で、ホァン会長夫人、Corinna S.L,Yaoさんがロータリアンになったと発表されると、大きな拍手で祝福されました。ホァン会長は、このような「ロータリー一家」が増えることを夢見ているのでしょう。

第1402例会 平成26年8月27日

テーマ「ヒラメの刺身でクドア食中毒」

 ヒラメの刺身を食べた後に、下痢や嘔吐を発症するクドアによる集団食中毒が、今年1~4月に国内で10件発生し、患者の合計数は105人となっています。
 クドア食中毒とは、粘液胞子虫の一種Kudoa septempunctata(和名:ナナホシクドア)により激しい下痢・嘔吐を発症します。主に8、9、10月に多発する食中毒です。この食中毒の症状は潜伏時間が短く、食後1時間から数時間程度(平均5時間)で発症し、一過性でありますが非常に激しい下痢や嘔吐を起こします。その症状は数時間程度で改善し、死亡例もなく予後は良好のようです。その理由は、胞子から放出された胞子原形質が腸管細胞に侵入し、腸管の基底膜に10μmの穴を作るために、腸管の透過性が高まり下痢を起こします。しかし、約2~4時間程度で胞子原形質が腸管細胞内で分解されるので、比較的早く回復し、予後がよいといわれています。それで、ヒトからヒトには感染しません。
 クドアが食中毒の原因物質として同定されたのは、2010年です。昨年から厚生労働省による食中毒統計調査で、原因物質として集計されるようになったばかりです。ちなみに、昨年1年間の患者報告数は244人だそうです。以前は、クドアはヒトに無害な魚の寄生虫と考えられていましたが、毒性のある新種が、ヒラメの養殖場を中心に広まったと考えられています。
 クドアは、肉眼で寄生していることを確認することはできません。しかし、-20°Cから-15°Cで4時間以上保管するか、もしくは中心温度が75°Cとなるように5分以上加熱することで失活します。ただし、ヒラメの刺身は冷凍すると味が落ち商品価値がなくなるため、冷凍による食中毒予防は困難だそうです。そのために、政府は生産地や輸入時の対策を進めています。
 厚労省は2011年10月に、韓国などからの輸入ヒラメの検疫内容を強化し、水産庁も国内のヒラメ養殖場・稚魚生産施設に対策を呼びかけている。これらの規制強化により、クドア食中毒の患者数は、2013年に減少に転じたと考えられています。ただし、天然のヒラメや別の魚でも、クドア汚染は見つかっていて、直ちに患者が完全になくなることはないだろうと言われています。これからの季節は、生の刺身を食べた後に、比較的短時間で生じた下痢・嘔吐では、クドア食中毒を鑑別に加える必要があると思われます。

第1401例会 平成26年8月20日

テーマ「なし」

 みなさん、こんばんは。
 本日の納涼例会には、会員だけでなく奥様や家族のみなさんの多数参加していただき、ありがとうございます。
 盆休みに入ってからずっと雨が降り続いていて、旅行や行事そして仕事に支障がかなり出たのではないでしょうか。特に、子供達は楽しみしていた夏休みも雨のために台無しになって、ストレスが貯まっていると思います。本日の納涼例会では、そのようなストレスを解消するような楽しい出し物などを親睦委員の皆様が企画しておりますので、みなさん期待してください。
 話は変わりますが、本年度、諫早西ロータリーはクラブ創立30周年を迎えます。記念事業としては、諫早中央体育館の駐車場前に時計台を設置する予定です。そして、一番大事な事業として、来年の2月7日(土)に創立30周年記念式典を行います。式典では出席者への温かいおもてなしができるように計画しておりますので、奥様方は全員参加をお願いいたします。
今晩は、いっぱい食べて、飲んで、笑って納涼例会を多いに楽しんでください。

第1400例会 平成26年8月6日

テーマ「夏の車内は砂漠と同じ」

 お盆は車で長時間運転する方も多いと思いますが、運転する時に気を付けなければならないことが、JAF mateの記事に載っていましたので、紹介します。
 ある晴れた真夏日に70歳代の男性が畑で農作業した後に、用事先へ車を走らせていたところ、途中で意識を失ってしまい、気が付いた時には電柱に衝突していました。搬送先の医師には熱中症だろうと言われたので、まさか運転中に熱中症なんてと、本人もとても驚いたそうです。確かに気温が上昇するにつれて、路外や対向車線への越脱したための自爆型事故の構成率が高くなり、人対車両事故は逆に低くなるという傾向が見られます。自爆事故は、気温24℃未満では、人対車両事故と同率の35.7%でしたが、30℃を超えると増加が顕著となり、30℃では、45.5%、32℃では60%、34℃では71.4%となります。人対車両事故が減るのは、暑さで歩行者の外出自体が減るからと、これまでは推測されていましたが、自爆型事故が気温に比例してこれほど増加しているのには驚きです。
 夏の車内は脱水状態になりやすく、運転中のドライバーも熱中症にかかるおそれがあるそうです。車の中は非常に小さな個室のため、家の中などよりもエアコンはよく効きます。一方、ガラス張りの車の中は温室のように暑くなるので、夏場は必要以上にエアコンの設定温度を低くしてしまいがちです。その結果、快適に感じられるかもしれませんが、車内は想像以上に乾燥した環境に陥っている状態です。乾燥した車内は、まるで砂漠にいるのと同じで、体内からどんどん水分が失われていきます。しかも、車内では前後左右の窓から体温上昇に関係する輻射熱を浴び続けるために、乗員は汗をかいています。しかし、車内は乾燥しているため汗はすぐに蒸発していまい、汗をかいていることに気づかないのです。その結果、脱水状態がどんどん進行してしまい、熱中症になってしまいます。
 夏場の車内での脱水症予防の基本は、集中力の減退を防ぐのに有効だとされる「1時間半ごとに15分ぐらいの休憩を取り、休憩時はトイレに行くだけでなく、外で身体を動かしたり、乾燥した車内の空気を入れ換えたりして、心身も車内もリフレッシュさせ、そして、水分補給が大事です。1時間に100㏄ぐらいの水分を補給し、できれば発汗で失われた塩分補給のためにスポーツ飲料がおすすめです。また、眠気覚ましに缶コーヒーを飲むことが多いのですが、カフェインの入った飲料は利尿作用があり、かえって脱水状態を悪化させることになるので、夏場は避けるべきです。

第1399例会 平成26年7月23日

テーマ「夏に尿路結石が増えるってホント?」

日経メディカルより
以前から、泌尿器科の先生の間では、「夏は尿路結石の患者が増える」と言われていました。その疑問に対して「尿路結石診療ガイドライン2013年度版」では、外気温上昇と結石の関係について、それを証明するような報告を紹介しています。その一つが台湾からの報告です。気温が上昇すると尿路結石の疝痛発作で来院する患者が直線的に増えているということです。またガイドラインには、地球温暖化の影響により、2050年までに結石患者は約30%増加する、と推論するアメリカの報告も紹介されています。また、アメリカ軍が気温の高いアフガニスタンに派遣されたところ、数か月で多数の結石患者が発生したという話もあります。
気温上昇で発汗量が増えると尿が濃縮され、尿路結石が生じやすくなります。尿の濃縮を防ぐには、水分摂取が重要です。夏場は熱中症対策も兼ねて、水分をよく摂取するようにしてください。
水分を多く摂取し尿量を増やすことは、結石予防の基本です。では、水を1日何ml飲めば有効なのでしょう。
結石形成の危険度は、1日尿量が1000ml以下で増加し、2000ml以上で低下しますので、1日2000ml以上の飲水を強く奨励しています。
ただし、尿路結石の好発年齢は男女ともに40~50歳代です。その年齢は仕事中にトイレに行きにくいために水分摂取を控えてしまい、その結果、結石の再発を繰り返していることが多いようです。漠然と水分摂取をしてくださいと言われてもわかりにくいので、1日2000ml以上を目標にしてください。
また、国民調査による日本人の肥満度と比べて結石患者の肥満度は高いことが示されています。他にも多くの疫学研究で、肥満、糖尿病、高血圧などの生活習慣病やメタボリックシンドロームの患者に尿路結石が多い事が報告されています。
つまり、よく水を飲んで、適度に運動し、バランスの良い食事を取る。メタボ予防と尿路結石の再発予防法は、ほぼ同じだということです。

第1398例会 平成26年7月16日

テーマ「前原勝樹氏の講演より(1968)続き」

 ポール・ハリスは自分の創ったシカゴクラブの例会に出席すると「童心に帰る」ことが出来るといわれました。またある先輩ロータリアンは、「例会の一時間は神様になる時間だよ」と教えられました。この童心、神様とはなんでありましょうか。それは人間の本性ということで、例会の1時間は人間性を取り戻す時間であるという意味であります。人間性、それは人間の自然のあり方という意味でしょう。
 人間には二つの面があります。自分の欲望を達しようとする獣性と、他人のために役立とうという神性とでも申しましょうか。この二つであります。人間は哺乳動物の一種族として個体の生存のためにその本能の満足に向かって突進しています。しかしその肉体的な能力をみる時、大きさでは象に比すべきもなく、獰猛性はライオンにおよばず、敏捷性も鼠におとり、走る力はカモシカにははるかおよびません。
このように必ずしも強力でない肉体の持ち主である人間が、何故に万物の霊長として地球上を征服して、繁栄を続けているのでしょうか。それは人間の社会性であり、各分業を分担して共同社会をつくっていく公共性があるからであります。そしてこの公共心、思いやりの心が、個体の欲望の強さに比例しているであろうことは「悪に強きはまた善にも」といわれることからも推察出来ます。
 成功した実業家の皆さんは、そう申しては失礼ですが、個人的欲求の旺盛な方々であります。それであればこそ業界代表としてロータリアンに選ばれたのでありましょう。こうした意欲的な人々こそ公共心、奉仕の理想が旺盛のはずであります。しかし皆様は日常の業務に営々として、ほとんどわき目もふれぬお忙しさです。したがって、何か世の中に役立ちたいと思い立っても、いつも目の前の仕事にかまけて構想がまとまらず、実行にも移せません。それは皆さんのためにも、地域社会のためにも残念なことであります。皆さんのやむにやまれぬ善意を成長させ、実行の機会を提供するのがロータリーであります。
 ロータリーの例会の1時間、それは皆さんの息抜きの1時間です。業務のために緊張した心と体もリラックスします。競争者のいない世界、警戒心を必要としない時間、ここではじめて我に返り、反省が行われ、次第に本然の自分に帰ります。すなわち人間性が取り戻されて、他人の事や社会の問題等を考えるゆとりが出来ます。心の隅にあった善意の芽は育ち、考えていた奉仕を実行に移す決意も生まれます。このような心境になることをポールは「童心に帰る」といわれ、先輩は「神様になる」といったのでありましょう。これが親睦から奉仕が生まれる過程でありロータリーの本質の存するところであります。
 賢明な皆さんは既にあるいは気づかれたとは思いますが、ロータリーの奉仕は個人個人の発意にあるということであります。そして奉仕の主体はロータリアン一人一人にあるということであります。
ロータリークラブはロータリアンに奉仕をさせるためのクラブであって、クラブが団体として奉仕するのはむしろ本筋ではないとされました。それはロータリークラブの組織なり運営なりを検討すればすぐ分かることであります。例えば役員の一年交代の点で考えてください。もし団体で奉仕するなら、適材適所で有能な会長を据え置いて数人のスタッフで、継続的に事業をするのが合理的でしょう。しかるに役員、委員の一年交代を実施しているのは会員に奉仕の勉強をしてもらいたいためであります。地域のどこに奉仕の必要が存在するか、これに奉仕するにはどんな手順を踏むべきか、自分はどの方面に奉仕が出来るかを学んでいただきます。出席をやかましくいうのも一つにはこのためであります。奉仕事業団なら、これを協賛する人がお金を出せば事がすみます。ロータリーは皆さんの心の中にある奉仕の理想を高揚し、進んで奉仕が出来る指導者になってもらいたいのです。世間では、ロータリーを評して金持ちの昼飯会だといっています。一応もっともな批評でございます。こういわれた時、皆さんは「ロータリーは奉仕団体」だと説明していると思いますが、果たして相手が納得するでしょうか。「奉仕、奉仕といっても、地域社会に対してたいしたことはしていないじゃないか」というのが一般市民の反発でございましょう。正にその通りです。道路標識をつくる、くず籠を寄付する、雨傘を寄付する、みな結構ですが、あれだけ立派な社長や旦那や先生方が集った会にしては、仕事の規模が小さすぎはしないか、といわれるかもしれません。私達はこの批判を甘んじて受けてよいと思います。それはロータリーの寄贈品は奉仕活動のサンプルであっていわば実習作品にすぎないからであります。交通標識を寄贈するのは、その寄贈が主眼ではありません。社会奉仕員がそれを採り上げたのは、交通問題が大きな社会問題であることを会員とともに認識を新たにし、これを調査研究しロータリーはこれといかに取り組むべきかという課題を提供したものであります。ロータリーの寄付行為はそれ自身が目的でなく、むしろこれを出発点として会員各人に奉仕を奨励し、またその問題に対する地域社会一般の関心を高めて、問題解決へ接近しようとするものであります。
 私は、ロータリークラブは大学病院のようなものだと考えます。大学病院は患者の診察もしています。しかし、その診療は診療そのものが目的でなく、よい医者を養成するための実習であります。この点、ロータリークラブの奉仕と立場を同じくしています。ロータリーはクラブが行う奉仕を通じて、会員をよい奉仕的人間に仕立てるための訓練をしております。しかし、大学病院でなければ治せぬ病気もあり、また、よりよい診療のための調査研究も必要であります。奉仕の世界も同様であります。一人でやりにくい奉仕もあります。また、どこに奉仕が必要か、これに対してどのように奉仕すべきかなどの調査研究機関であるとともに地域の指導者であるロータリー会員に対する奉仕への訓練機関であります。
このように考えることによってロータリーの機構や、その運営に関する疑問が解けて来るかと存じます。そうしてロータリーに「参加し敢行する」ということはどんなことかということもお分かりになってくると思います。
 ロータリーは団体として奉仕活動するというよりはむしろ、ロータリアン個人の奉仕を期待していることは「綱領」に明示してある通りであります。その点でロータリアンは訓練生であり、幹部候補生であると考えられます。事業に成功した素質のよい地域社会の指導者にもう一つ奉仕という筋金をいれてあげようというのがロータリークラブです。したがってロータリーに参加し敢行しようとすれば、まずロータリアンとしての誇りを思い、責任を感じなくてはなりません。例会には必ず出席し、会員同士はお互いに尊敬を交わしつつ友情を深めます。例会出席が楽しくなった時、あなたの心には奉仕の理想が湧いてくるのです。ご自分の所属している委員会には進んで出席し、またあらゆるロータリー行事に参加して勉強してください。ロータリーのルール、すなわち情報は世界中の知能を集めてつくられた奉仕へのハイウェイであります。あなたは委員会活動に積極的に参加して実践してください。はじめに申した通りロータリーには見物席はありません。みんな役者のはずであります。スポーツも芝居も見物するより自分でやる方が面白いにきまっています。この面白さがあなたに勇気を与えます。ロータリーで実践した小さな奉仕があなたを大きな奉仕事業に踏み切らせます。

第1397例会 平成26年7月9日

テーマ「前原勝樹氏の講演より(1968)」

 最初の日本人のRI会長である東ケ崎氏の目標はただ「パーティシペイト」すなわち「進んで参加せよ」という極めて抽象的な一語でした。
私はこれについていささか奇異の感もありましたので、東ケ崎さんに直接ただしてみました。ところが東ケ崎さんはこういわれました。英語には参加という意味の言葉にparticipate(パーティシペイト)とjoin(ジョイン)の二つがある。これを船にたとえてみよう。船にはたくさんの人が乗っているが、船員として運航業務を担当して働いている人々、この人々はパーティシペイトしているのであるが、乗客としてただ旅行を共にしている人々はジョインしているにすぎない。パーティシペイトとは自分の部署をしっかり守って、その責務を全うしてゆくことである、と大体こんな話をされました。
私が考えますのに、自分の部署を全うしていくには、その職務の内容を熟知していなければ出来ません。機関部の乗組員は機関の構造およびその運転法を、航海長は海図の見方や、コンパスの扱い方をといったことであります。仮にその業務の知識なしでその部署に配属されても職務を遂行出来ぬばかりか、時に邪魔になることさえあります。
これはロータリーにおいても同様であります。ロータリーの何ものかも解せずしてその会員としての本分を発揮することは出来ません。委員会の仕事内容を熟知せずにクラブ活動に進んで参加することは出来ないと存じます。「進んで参加する」にはまずロータリーを知る必要があります。委員会活動について勉強する必要があります。私はこの点に鑑みまして、本日は主としてロータリーとは何かという基本的な考え方について申し上げてみたいと存じます。
まずロータリーを理解するには、その歴史的発展過程を承知することが早道であろうと思い、少しこれを述べたいと存じます。
1904年のシカゴにポール・ハリスという若い弁護士が開業しました。この方のご商売は相当に繁盛しておりましたが、ご本人は毎日淋しい日を送っておられたのでございます。それは、弁護士を訪ねる事件依頼人は、利欲のために大なり小なり嘘をいってくる人々であります。
ポール・ハリスは純真な心の持ち主でありましたので、こうした人々ばかりを相手にしていることが非常に悲しく淋しかったのであります。なんとかもっと人間らしい、心温まるような付き合いはないか、なんとかして気の許せる仲間は得られないだろうかと、ひたすら心の友を求めていたのであります。
そんなある時、数人の市民と話し合う機会がありました。ところが彼等は勝手に自分のホラを吹き、平気でコボシバナシをしています。ポールがここで気が付いたことは、彼等の職業がみんな違っていることでありました。ポールは思わず膝を打って、これだとうなずきました。この一業一人という線で会員を集めれば、きっと楽しいクラブが出来ると確信し、やがてこれを実行に移して(1905年)出来たのがロータリークラブであります。
当時も今もアメリカにはたくさんのクラブがあります。ユダヤ人のクラブ、何々大学卒業生のクラブ、弁護士のクラブ等々でありますが、これらはいずれも立派な会館を持ち、これを経営しています。しかし、いろいろな事情でクラブ会員間に等差がついて必ずしも楽しいものではないようであります。ロータリーは職業分類という点であらゆる会員が全く平等の立場にありますから、当初からロータリーは非常に評判がよく、入会者も多くなりました。
しかも庶民の集まりであるからなるべく気軽なものにするために、このクラブは会館を持たずあちらの事業場、こちらのホテルと会場を変えていきました。この引っ越ししてあるくところからロータリーと名づけたのであります。はじめは奉仕を旗印とした訳ではなかったので、ロータリー・マークも引っ越しを表現する「馬車の車輪」をつけていました。今にして思えば自分の会館を必要としないことが、現在のような世界的発展の原因の一つとなったのでありましょう。
ところでロータリークラブに集まる人々はいずれも事業家、職業人でありますから、話題といえば商売の話であります。しかし、一業一人制は図に当たって会員は他人とは思わぬような親睦の間柄となり、お互いの恥を平気で話せるようになりました。そして困ったことは相談し合う、慰め合う、進んではお互いに助け合い、ついには会員同士の取引やサービスの提供となって、実利的にも便利な存在となりました。
しかしここに一つの転機が来ました。それはアーサー・F・シェルドンの入会です。その人は経営学者で「こんな仲間の利益ばかり考えている会は永続しない。広く社会的に有用な団体となる立派な旗印が必要である」と考えました。
そこで当時のシカゴを見渡したところ、金の亡者の集まりで商業道徳は退廃し、被害は消費の側で防御せよと公言して憚らぬ状態の修羅場となっていました。しかしこうして破産倒産相つぐ中にもなお、商売繁盛を続ける商家のあることに気づき、その秘密は相手の身になって励むことと見つけて「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」の標語を掲げました。また時を同じくしてフランク・コリンズが「超我の奉仕」を唱え、この二つが公式標語となってロータリーは奉仕団体としての性格を明らかにしました。この結果ロータリアンの職場はいずれも活気をとりもどし、着々と成功者も出て来ました。
この職業奉仕の成果によって、ロータリアンは大きな信念を持つことが出来るようになりました。この時、車輪のマークから相互扶助のギアのマークに変えました。
すなわち、この相手の身になっての言動すなわち奉仕の理想は単に職務の成功ばかりでなく、よりよい社会をつくるのに大切な信条であるということであります。職業の場ばかりでなく、家庭生活においても、一般の社会生活においても、あらゆる生活の場にこの奉仕の理想を持って行動することが、住みよい社会をつくる道であり、これこそがロータリーの責任と名誉であると同時に、ロータリアンはそこの先達であり指導者であることを心に刻むようになったのであります。今やロータリー単なる親睦団体でもなく、商売繁盛の相互扶助機関でなく、奉仕の理想を中心として集まる同志の集団となったのであります。更にその後ギアのマークの中央に鍵穴のような図形を加えました。これは鍵穴ではなく、心棒が滑らないための楔穴であり、ギアの回転のエネルギーがこのシャフトによって外へ伝達されるように、ロータリアンの奉仕の理想が、ロータリアンの職業を通じ、生活を通じて、社会に影響をおよぼそうという理想と意欲を表現しているものであります。時に、1922年、初代事務総長のチェス・ペリーがポール・ハリスの右腕となって活躍し始めた時代であります。

第1396例会 平成26年7月2日

テーマ「おついたちの挨拶」

 先月に盛岡での学会の帰りの飛行機で、ANAの「翼の王国」を読んでいたら、「おついたちの挨拶」という文がありましたので、紹介します。
京都の祇園町には、大切にしている慣習があって、その中でも感心させられることのひとつが「おついたちの挨拶」です。
 舞妓さん芸妓さんは、元日以外の毎月1日に必ず決まったところにご挨拶に廻ります。毎月1日の午前中に自分を舞妓さんに育ててくれた屋形といわれるお家、お座敷にデビューする前に見習いをさせてもらったお茶屋さん、そして自分が舞妓さんになる時にいろいろと教わった姉妹関係のお姉さんのお家と、順に挨拶に廻ります。
 形式ばった堅苦しいものではないのですが、お世話になった方に礼を貫くという教えに倣い、廻るのです。正装でなく普段着の着物姿で出掛けるので、行事としての意味合いはなく、師弟関係や姉妹関係での近所付き合いのような感じです。
 この「おついたちの挨拶」ですが、口上は「おめでとうさんどす、今月も相変わりませずおたのうもうします」というもの。お正月やお祝い事ではないのに「おめでとうさんどす」という挨拶はなんとも不思議に思えます。
 お稽古やお座敷でほとんど毎日のように顔を合わせているのですが、必ず1日にご挨拶に廻るのは、初心忘るべからずということなのでしょう。8月の1日は八朔といってこの日に限り正装の黒の紋付でご挨拶に廻ります。
 雨の日も雪の日も夏の炎天下でも、おついたちの挨拶は欠かしません。まだ舞妓になりたての十代の頃からのお世話になった周りの方々を毎月訪ね、自分の近況や思いを伝える、そして相手から意見や教えをもらい、世間話をするのです。花街では当たり前のように行われていることですが、なかなかできることではなく、感心するばかりです。
 わが諫早西ロータリークラブも30年間続いているのは、チャーターメンバー、OB会員、そして現会員のおかげです。これからも、お世話になったベテラン会員や、親睦、奉仕活動、30周年事業に従事している現会員に対し、会長としての思いを伝え、会員のご意見や教えをいただきたいと思います。
 今後は、月の始めの例会では、「おめでとうさんどす、今月も相変わりませずおたのうもうします」と「おついたちの挨拶」を続けていきたいと思います。

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